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【 チーム牡丹<TEAM BOTAN>出張演奏海外派遣 】 |
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![]() 豪徳寺教室リビングで合奏の合間! |
![]() 豪徳寺教室玄関前で、さあ出陣よ! |
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緑、白、赤の振袖を着ていくと、観客のイランの方々から大喝采。式典の後、コーランの歌とともにお祈りが始まり、 荘厳な雰囲気も体験! 最後は美しいイランの女性たちと一緒に大撮影大会。 とても貴重な思い出深い夜でした。 |
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授業も受けている学生さん達は、事前に源氏物語を予習済み。演奏の前にも歌詞の意味を説明させて頂いたので 光源氏と夕顔の儚い恋の趣は、きっと学生さん達の心に伝わったことと思います。その後は、東京音頭で賑やかに。 こちらも事前に踊りを予習済みの学生さん達が輪になって、曲に合わせて踊って下さいました。 |
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気遣いもできるようになりました!チーム牡丹の演奏披露後は、琴と三味線のグループに分かれて楽器の体験。 13名の留学生たちは初めてさわる楽器に興味深々。最後は留学生たちが「さくら」を合奏をしました。 |
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一画にお琴の体験コーナーを設けました。 子供達はみんな興味津々。 お琴に向かってチャレンジしている姿は、 まるで天使のよう!私達もたくさんの笑顔を頂きました。 |
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韓国の名曲「故郷の春(コヒャンエボム)」などを演奏しました。皆さん演奏を真剣に聴いてくださり、終了後は 拍手と大歓声でそのまま撮影タイムに。大勢の学生さんからパワーをいただき、チーム牡丹、ますます元気です! |
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また、桃月庵白酒師匠の落語と、おいしい日本酒(澤乃井酒造さん)も存分に堪能させていただきました。 |
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普段はなかなか入ることのできない大使館でのセレブな夕べ! 演奏後はとってもおいしい食事をいただき、 チーム牡丹のメンバーは大満足! 日本酒と梅酒が盛大に振舞われる華やかなパーティを楽しんでまいりました。 |
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愛をテーマにした歌や、フルート、バイオリン、ピアノの演奏の中、邦楽協力として私達が演奏した曲目は 「八千代獅子」です。素敵なコンサートホールで、プロの演奏家の方達の合間に出演し、大きな拍手を 頂いた事は夢のようでものスゴ〜ク感激!!ひらやすかつこさんの美しい声にも全身がしびれる思いでした。 |
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外国大使館関係者の方が多く参加され、テレビの「兼高かおる世界の旅」で有名な兼高かおるさんもゲストで来場 していらして お話したり、一緒に記念写真を撮らせていただいたり、私たちも大感激の一日でした。 |
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又、スライドの上映をしながら、琴・三味線の歴史、宮城道雄先生の事、そして牡丹会の活動について 英語でレクチャーしました。後半の質問コーナーででは、興味津々のお客様から沢山のご質問をいただき、 体験コーナーでも皆様の熱気に時間を忘れるほど、私たちにとっても、資料収集など「日本再発見」でした。 |
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秋・月に因んだ「紅葉」、「荒城の月」etc.を演奏しました。演奏の合間には、お茶とお菓子を頂戴しながら お客様と日本語/英語を交えてのおしゃべり。楽しい時間を過ごす事が出来ました。(台風にも負ケズ!) |
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中学生たちは来月の文化祭に向けて「荒城の月」と佐野恵子先生編作曲の「桜ファンタジー」を特訓中! ちょっとおねえさんの私たちが同じ曲を演奏すると「ボクらと音が違います!」「腰を入れて弾くという意味が 分かりました!」と目をキラキラさせながら感想を聞かせてくれました。 |
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してきました。今回は、夏休みを利用して日本語を勉強しに来日した韓国の留学生たち15名。 皆とても熱心で、お琴の弾きっぷりも、三味線の持ち方も上手でびっくり。最後はクラス代表の2人が 「さくらさくら」を見事に演奏し、皆で歌いました。サプライズで韓国の名曲「故郷の春(コヒャンエボム)」を 演奏すると「わぁ〜」と拍手がわいて、私たちも感激! |
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皆さんとっても楽しそうに体験していました。最後には希望者で合奏。終わった後には拍手喝采でした! 楽器を片付ける時には「手伝います!」と声をかけてくださる生徒さんもいて、とても嬉しかったです。 |
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子供達が琴の前に立ち尽くして不思議そうに見ていたり父兄達からも「ビューティフル!」と写真を撮られたりして オモシロかった!佐野先生、ありがとうございました。これからもご指導よろしくお願い致します。皆、やる気です! |
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ニュージーランド、フランスといった海外の女性や、10〜70代の日本の女性が、25名ほど着物姿で集まり、 華やかな楽しい会となりました。皆それぞれに友だちの輪を広げて、国際交流を楽しんでいましたよ〜♪ 「桜ファンタジー」(佐野恵子先生編作曲)と「うれしいひな祭り」を演奏しました。チーム牡丹のデビューです!! |
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【 琴・三味線 KOTO・SHAMISEN 】 |
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筝は奈良時代に中国から入ってきた外来楽器で、約180センチメートルの共鳴胴に13本の弦を張り、それぞれの弦に 「琴柱(ことじ)」(1種のブリッジ)を立てて音の高さを決め、右手3指にはめた「琴爪(ことづめ)」で弦をはじいて音を 出します。 筝のかたちは、想像上の動物である「龍(竜)」をかたどったものと考えられています。そのために、いろいろな部分に「竜」 という文字を冠した名前が付けられています。
筝曲(そうきょく)は、江戸時代初期に八橋検校(やつはしけんぎょう)によって創始されて以来目の不自由な 音楽家たちが専門的に創作・教習・伝承に関わってきた音楽種目です。 筝曲は近世を代表する音楽でありながら、性格的には平安の王朝文化への憧れを内包し、江戸時代を通じて良家の 子女のたしなみとして、最も重用されました。 |
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The koto originates from China and was brought to Japan during the Nara period (712-794 A.D.) It is a 13 stringed zither, 180 centimeters (about 6 feet) in length. The 13 strings are tied over stationary bridges at each end of the body. A movable bridge, called a kotoji, is placed somewhere along the length of each string. The kotoji lifts the strings off of the body so that they will resonate when plucked. The strings are tuned by sliding the movable bridges back and forth. The strings are plucked with three picks, called plectrums or kotozume, which are attached to the thumb and first two fingers of the right hand, causing the stings to resonate. The shape of the koto is said to resemble that of the mythical dragon (ryu). It is because of this association that the names of various parts of the koto correspond to various parts of the dragon and bear names including the Chinese character for dragon. Soukyoku music, or music performed on the koto with or without voice accompaniment, was first truly popularized when the blind artist Yatsuhashi Kengyo made some revolutionary changes in koto music and playing at the beginning of the Edo period. Although koto music actually originated in the Heian courts, it was throughout the Edo period that well-to-do young girls, with their attraction to the elegance of the Heian courts, played a crucial role in keeping koto music alive. |
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三味線は、今からおよそ四百数十年ほど前の永禄年間(1558-1570)ごろに中国の三弦が琉球(沖縄)を経て、 日本に伝えられ、さまざまな改良が加えられて誕生しました。 伝来した新しい楽器を最初に手にしたのは、その当時、琵琶で「平家物語」を弾き語っていた目の不自由な 音楽家たちでした。彼らは、琵琶の奏法を転用して、撥(バチ)で弦を弾くようにし、その楽器のために 新しい音楽を創作しました。それが現在「地歌(じうた)」と呼ばれる音楽の始まりです。
その後、三味線はまたたく間に広まり、さまざまな音楽の種類が誕生すると共に、楽器にも色々改良が施され、 現在の三味線という楽器に完成していきました。 長唄(ながうた)をはじめとする歌舞伎のお芝居の音楽も、文楽(ぶんらく)という人形芝居の音楽である 義太夫節(ぎだゆうぶし)もあるいは花街を流して演奏する新内節(しんないぶし)も上方の盲人音楽社会で 発達した地歌(じうた)も、三味線がなければ生まれることのなかった音楽です。 |
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The shamisen first came to Japan from China by way of Okinawa (which was then called the Ryukyu Kingdom) about 400 years ago, over a span of several years (1558-1570). People in Japan began developing their variations of playing the shamisen, giving birth to several new music styles. The first to introduce playing shamisen music to the Japanese people were blind performers in Biwa, who would recite the Tale of Heike to a shamisen accompaniment. These blind musicians adapted their own new style of playing the shamisen, such as the use of the bachi or plectrum to both pluck and strike the strings. With this, a new style of music was born. This music is known and performed today as jiuta or folk songs. After that, the shamisen spread throughout Japan, developing a wide variety of styles and assortment of adaptations to the instrument itself, gradually becoming the shamisen of today. |